2025年度校友会代表祝辞

相澤陽介氏

1977年生まれ。多摩美術大学デザイン科染織デザイン専攻を卒業後、株式会社コムデギャルソン入社。2006年にWhite Mountaineeringをスタート。2016年よりパリファッションウィークに参加。
これまでにMoncler やBURTONなどの様々な欧米ブランドのデザインを手掛けられました。また、2012年ロンドン五輪日本選手団のウォームアップウェア、2020年にはヤマト運輸の新制服をデザイン。現在は、サッカーJリーグ北海道コンサドーレ札幌の取締役兼ディレクターとして活躍するほか、多摩美術大学生産デザイン学科テキスタイル専攻にて客員教授を務めておられます。


新入生の皆様、またご家族の皆様、本日はご入学おめでとうございます。
私はファッションデザイナーの相澤陽介です。
本学では生産デザイン学科テキスタイル専攻にて客員教授を勤めております。

まず最初に自己紹介をさせていただきます。
すでに四半世紀前になりますが、皆様同様にこの大学にて物作りの第一歩を踏み出しました。

当時本学にはファッションを学ぶ科は存在せず、またテキスタイルデザインという名称ではなく染織科という工芸的な側面が強い専攻でした。

我々の大先輩にあたるファッションデザイナーの三宅一生さんもグラフィックデザイン科の前身にあたる図案科を卒業し独学で世界的な成功を収めました。

現在ファッションデザイナーとしてパリファッションウィークに長年参加し、今も表現の可能性を突き詰めています。

この3年ほどはユニクロと私のブランド「ホワイトマウンテニリング」にてコラボレーションを行いましたので、もしかしたら皆さんも手に取ったことがあるかもしれません。

また多くの企業制服に取り組んでおり、おそらく私の仕事で一番目にする機会が多いのはヤマト運輸の緑の制服だと思います。

そしてデザインの力を使い現在はサッカーJリーグ北海道コンサドーレ札幌の取締役としてサッカークラブの経営にも関与しております。他にはバイクやレーシングカーのディレクションや昨年開業したノットアホテル 北軽井沢のデザインと活動の領域を広げて今に至ります。ざっと今の仕事を上げてみましたがファッション、サッカー、レース、宿と趣味の世界の延長が仕事をなってきました。
これは好きな事を突き詰め夢中になってきたからに他なりません。

物作りというものは自分が夢中になり、使う人鑑賞する人にとって感情を刺激する物でなければなりません。夢中になるという事は何事にも替え難く、必然的に努力や技術の向上へとつながっていきます。

入試を終えたばかりの皆さんに取って努力というと辛さや苦しさと言ったような物に聞こえるかもしれませんが、物作りに置いての努力というのは自分の中の表現を深掘りし出来ることをふやす事です。

映画ブルーピリオドでも美術の先生が「好きな事をする努力家は最強なんです」とおっしゃっていましたね。絵を描く、石を掘る、踊りを極めるなど、目指す世界で戦うべく夢中になり、より上手く、より広くという思いが必然的に努力という形となります。

芸は身を助くという言葉がありますが、これは好きな事を夢中になり身に付けた技術や能力がいざというときに自分を導いてくれるという意味です。


私の経験上の話を一つしたいと思います。
多摩美術大学に入りたいと思ったきっかけはポップアートでした。
高校時代にアンディウォーホルなどの作品集を読み漁りまた当時日本で大きなウネリをあげていた現代美術の世界に強く憧れました。

その為シルクスクリーンで作品を作る事、また手作業で何かを生み出したいと言う思いから染織科へ進みました。

当時はファッションの事など気にもせず、生地やプリントの技法を使いアート的な表現を目指して物作りに夢中になりました。しかしながら大学3年になり卒業後の進路に悩むようになります。
現代美術的なアプローチに対して自分が突き詰めることが困難となり早々に諦めたのです。

そこから現実的に染織の力を使って就職活動を行うこととなりました。選択肢としてはファッションかインテリア。大手企業の説明会にも参加したのですが、当時現代美術を目指していた美大生の自分にいわゆる企業論理という物を理解するのが困難でした。

その中で就職課を覗くと一枚の大きなポスターがありました。そこには他の企業のような会社説明や業務内容は一切なくただ英語で一言、強く自由に生きるというようなメッセージとコムデギャルソンという社名が書いてあるだけでした。そのメッセージに強く惹かれその場で応募してのを覚えています。
面接を通過し最終の実技へと進むのですが、先ほど申し上げた様にファッションを学ぶ機会がなかった私は当然その時まで洋服を作った事がなく、それどころがミシンに糸をかけることすらできませんでした。実技試験ではワンピースを作る課題でありライバルとなる同世代は国内外の有名なファッション学校に通う精鋭達です。約10時間に及ぶ試験で、何もできない自分は開始早々にいても経ってもいられない気持ちになりその場所にいることができませんでした。

たまたま前を通った試験管をしている女性に、正直に洋服を作ったことがないので退出したいと申し出た所「帰ってもいいけど何しに来たのよ」と強めに問われ「美術大学でテキスタイルの勉強をしてきたのでテキスタイルのデザインがしたいと思ってきたのですが、無知の極みで間違えてきてしまったようです」と答えた所「せっかく最終試験まで来たんだし、美大生なら絵を描いてなさい」と花柄の生地を持ってきていただき、これをあなたらしく描きなさいと私だけ急遽試験内容を変えてくれたのです。

その時に持っていた画材は鉛筆と消しゴムのみです。
私もせっかくここまできたのだからとB全サイズの紙に一心不乱に花柄の絵を描き始めました。

染織科の入試は花のデッサンを描きます。その為花柄は馴染み深いモチーフです。描き進める中、アイデアが湧いてきて、学んでいたシルクスクリーンプリントの絵を繋いでいくオクリという技法を入れてみようと考えました。

ただでさえ合格する可能性は低い中、大学の入試で描いた花の絵と学んだプリントの技法を使ってテキスタイル デザインの意味を表現したいと思ったのです。

最後に絵のプレゼンを行うのですが、その時にこのまま工場に出しプリントの製版を作ることができますと絵を丸めて左右のオクリを作っていると説明しました。数日後私はコムデギャルソンの内定を受け、現在47歳の今に至るファッションへの道筋を作ることができたのです。

後に分かったのですが、私が帰りたいと申し出た女性がテキスタイルの責任者で常務取締役だったのです。これがパターン担当や営業の方であれば恐らく結果は異なったと思いますし、私は今ファッションデザイナーで無かったかもしれません。

もう無理だと諦めそうになった時、奇跡的な巡り合わせと自分が持っていた技術でピンチを乗り越え、人生にとって大きなチャンスを得ました。まさに芸は身を助くという経験だったと思います。

運も実力の内と言いますが、私は少し違っていると思っています。それは運と実力が伴って初めて何かを成し遂げられるからです。

では運と実力という物はどういう事なのか?という話ですが、現在、私はプロサッカーチームに関わっており長年若い選手を間近で見てきました。皆さんもわかるようにプロサッカー選手になれるというのは学校の中でも最も上手い選手だと思います。 

そこから市町村、県選抜などでトップの成績を残してもプロになれるかわからない一握り世界です。

スポーツは芸術分野よりも遺伝による才能が強く反映されるそうですが、個人の努力は並み外れた物がなければプロにはなれません。

またプロになっても皆さんが知っているような日本代表クラスになる為には更なる努力と運も必要です。選手は活躍したい言う欲求と地道な練習の積み重ねによって成長していきます。しかしながら、どんなに有能であっても試合中のタックルによって大怪我を負う可能性もあります。
また監督の考えと異なるプレースタイルだった場合は試合に出れなかったりもします。

トップクラスの選手でも一年を通して活躍できなければ翌年の契約は解除されてサッカー選手としての道を失う可能性があります。これはある意味不運です。その反面、逆に誰かが試合に出れない状況となり千載一遇のチャンスが回ってきた時、それを生かすことができれば環境はおおきく変わります。
それは地道に積み重ねた練習により培った技術があってこそ実現できる事です。
スポーツの世界は常に運と実力が備わっていなければなりません。
実は我々芸術やデザインの世界も全く同じだと思っています。
正直才能という物は受け手の感性との相性であり数値化できない物です。

美術大学という教育機関で、誰もが平等に取り組むことができるのが技術の習得だと思っています。
現実的な話になりますが、皆さんは今日同じスタートラインに立っています。しかしこの4年間どのような姿勢で取り組むかで卒業時の立ち位置は大きく変わっている可能性があります。

現在私もデザイナーとして仕事をしていく中、日々学び昨日の自分を超えていかなければならないと常に思っています。

知らない事を経験する、日々進化する新しい技術や方法論を理解し実践する事を怠ってしまうとデザイナーとしての成長はとまります。
結局は学生時代とやってる事は何ら変わらないのです。


ものつくりをして行くと誰もが賛美を送ってくれるわけではなりません。おそらく美術予備校などで味わったと思いますが、自分が上手くできたと思っても必ずしも良い評価をもらえるわけでは無かったと思います。

一般的な学業であれば点数化され問題点も理解できますが、ものつくりの世界ではそれが可視化される物ではなく見た人、感じた人の感想が全てとなります。

時には辛辣な意見を目の当たりにし、気持ちが沈むこともあります。
また昨今は顔が見えない誰かから云われなき攻撃を受ける可能性もあります。
ものつくりを続けて行くというのは非常にタフな仕事です。

自分が正しいとどこまで信じれるか?その自信をどう持つか?にかかっているともいえます。

その根拠となる物は何か? その一つが技術だと思っています。

私をファッションの世界へ導いてくれたコムデギャルソン のデザイナー川久保玲さんは、コロナ禍のインタビューでこのような事を言っていました。

「全員が分かっていただけたらそれは新しくない。全員によかったですね、きれいですね売れそうですねと言われたらそれは不安です。そんなに分かりやすいものを作ってしまったのか?という自己嫌悪になる」

自分自身を表現する為には周りの目を気にするのではなく、己の持つ力と感性を作品にぶつけ、やり抜くと言うメッセージだと思っています。

私が皆さんに多摩美術大学で磨いてほしいと思う事はものつくりを心から楽しみ、自信を得る事です。
なぜなら好きなことだけに没頭できる4年間は生涯通して今しかないからです。

技術の習得は人によってスピードは異なりますが、必ず進歩していきます。
それが夢中になるという事です。


今後、生成A Iの発達により物作りの世界は大きく変化していくでしょう。
A Iというツールは興味深く、私自身は積極的にデザイン作業に取り入れていますが、それが全てではありません。
A Iには作れない過程や失敗にこそ芸術やデザインの意味だと思っているからです。

経験に勝る知識はありません。
失敗を恐れずに確かな技術を身につけ、この素晴らしいものつくりの世界に挑んでほしいと切に願っています。

まず、今日は大きな第一歩。
これからの4年間、期待と不安を楽しみながら大いに暴れていきましょう。
期待しています。

2025年4月5日