【特集記事】第2回 卒業生インタビュー 相澤陽介さんvol.3

2025年7月31日

2001年多摩美術大学デザイン科染織デザイン専攻を卒業後、株式会社コムデギャルソンに入社、2006年には自身のブランドWhite Mountaineeringをスタートし、ヤマト運輸の新制服やLARDINI BY YOSUKEAIZAWAをデザインするなど国内外で活躍している相澤陽介さん。現在はテキスタイルデザイン専攻の客員教授も務めています。そんな相澤陽介さんに校友会代表として2025年度入学式の祝辞をいただきました。その入学式の控室にて、校友会スタッフ(多摩美卒業生)が今後の展望とデザイナーやアーティストを目指す在学生へのメッセージを伺いました。 相澤陽介(Aizawa yosuke) 1977年 埼玉県生まれ 2001年 多摩美術大学染織デザイン学科(現:テキスタイルデザイン専攻)卒業     株式会社コム・デ・ギャルソンに入社 2006年 自身のブランド White Mountaineeringをスタート 2012年 ロンドン五輪日本選手団のユニフォームをデザイン 2013年 MONCLER Wのデザイナーに就任 2014年 BURTON THIRTEENのデザイナーに就任 2018年 多摩美術大学生産デザイン学科テキスタイルデザイン専攻の客員教授に就任 2019年 北海道コンサドーレ札幌のディレクターに就任 2020年 ヤマト運輸の新制服をデザイン 2023年 東北芸術工科大学芸術学部の客員教授に就任 https://youtu.be/NpRCVCsb-s8?si=Ch6cI6ekbImSG4XA ───今後の展望について今気になっていること、これから挑戦したいことはありますか。 相澤:将来のことは正直自分でも全然分からず、先ほども申し上げたように、いつ辞めてもいい感覚は持ってるんですよ。なのでネガティブな意味ではなく節目節目で、また違う自分の発見ができるんじゃないかっていうことも思ってます。 とはいえ無責任なことはできないので、どうするかっていうのは考えますけど。 あとは今後生成AIに関してどのようにデザイナーが向き合うかっていうことがものすごい気になってますね。 ファッションの世界っていうのはいろんな新しいものをどんどん取り入れなきゃいけなくて、今までもそういう変革期ってあったと思うんですよ。私がブランドを始めた頃はiPhoneはなかったし、大学に入った頃はMacintoshもまだブラウン管みたいな形で、スペックも非常に低かった。でも、今はもうMacintoshがなければデザイナーの仕事はできない。もう始まってるとは思うんですけど、どこかでその生成AIというものが今までの常識を覆すかもしれない。 例えばですけど、私はスニーカーのデザインをすることが多いんです。そんな時にAIに対して、今売れてるスニーカーブランドをミックスした新しいデザインを提案してほしいって会話をすると、瞬時にそれがミックスして提案されると思います。もちろんそれが作れるわけでもないし、それが素晴らしいものではないんですけど、何かデザインするきっかけになってしまうんですよね。 それっていうのは、実はAIがどうこうということではなくて、我々はもともと図書館でものを調べなきゃいけない時に、今であればPinterest(ピンタレスト、画像収集アプリ)だったりGoogleで調べることができるじゃないですか。ただ単にその方法論が変わっていっただけで、今やっぱり一番デザイナーとして気になっているのは、生成AIの進化と自分がどうやってそれに対応していくかという過程を重要視しているっていうのはありますね。 ───相澤さんにはテキスタイル専攻で客員教授もしていただいてますが、ぜひデザイナーやアーティストを目指す在学生にメッセージをお願いします。 相澤:私はコミュニケーションというものを重要視して教育に携わっています。ちょっと矛盾するかもしれないんですが、私は染織とかテキスタイル、ファッションの中での技術を教える人間ではないんですね。技術は持っていてほしいし、技術を自分で習得してほしいですが、同時に、それをどうやって使うか、どうやって自分の考えていることを理解してもらうかっていうのが、やはりこの美術大学の学生は非常に弱いと感じてきました。自分の好きなことっていうのはアピールする力がものすごくありますし、爆発力もすごいです。 しかし、例えば私がずっとやってきた企業のデザインであったり、何かの制服というものに関しては、自分の自己満足の世界ではないじゃないですか。作ったものを自分が着ることはないんです。例えば、ヤマトホールディングスのセールスドライバーの緑色の制服を私が着ることは、多分この先ないでしょう。しかし、それをデザインして、それを毎日着る方に届けなきゃいけない。その時にどういう意味があるのかっていうのを伝えなきゃいけない。 あるいは私はサッカーチームのユニフォームをずっとやってますが、毎年デザインが変わっていく中で、それを着る選手だけではなく、サポーターの方などのいわゆる顧客満足度としてビジネスにつなげていかなきゃいけないとなると、デザイナーとしてこうあるべきだというよりも、この自分の作れるエネルギーというものを、どういう風な話の聞き方で、どういう風に自分で処理をして相手に伝えていくかというところをファッションを通して教えています。多分そういったことは、学生のみんながつまずくところだと思うんです。学生がそういう第三者もしくは対象物に対して何かを作らなきゃいけないっていう時に、本来であれば“これが僕の正しいもので、私のこれが好きなものだ”になるんですけど、それだけだと正直仕事にならなかったり、本来の目的から逸脱する。それを早い段階で学生に学んで欲しいという思いで私は教えてるんですけど、学生時代に多分一番やりたくないことだと思うんです。だけどそれは現実的な話、就職活動の場面で一番必要とされます。就職活動で美大生が一番挫折するのは、そこがないからだと思います。 でも、なかなか真面目に聞いてくれない子達も多くて、難しいところは感じてますね。やはり技術を教える実技であれば目的は明確ですけど、私の場合は何がゴールかわからないっていう授業をやっているので、その部分でフィットしてくれる学生にはいいですけど、技術的なレクチャーをしてほしいという学生には難しいようです。 ヤマト運輸セールスドライバーの制服 ───学生時代は自分の好きな表現に偏りがちだと思うのですが、表現のその先にはそれを受け取る側がいるので、その相手を意識するということを在学中に教えてもらえるのは素晴らしいと思います。私の在学中は表現が先行する環境だったので...。 相澤:それは多分、版画専攻だったり染織デザイン専攻だったりとかして、どちらかというと本当に自分の技術を学ぶっていうことが目的だったからだと思います。逆に言うとそれができた時間というのはすごい有意義だと思いますよ。没頭できたっていうことで。 先ほども祝辞で申し上げたように、もうそのタイミングでしかその専門的な技術を得ることってないと思うんですよ。 僕は卒業して以降、糸を染めたことは一度もないんですよ。でも、糸を染めることってわかるじゃないですか。染料のことだったりとか、染め方っていうのを分かっているのか分かっていないのかって大きいんです。それが理解できる4年間というのはすごい重要で、それがあればどのタイミングでも今僕が言ってることを学ぶことは可能だと思います。 vol.1~ はこちら vol.2~ はこちら

【特集記事】第2回 卒業生インタビュー 相澤陽介さんvol.2

2025年7月24日

2001年多摩美術大学デザイン科染織デザイン専攻を卒業後、株式会社コムデギャルソンに入社、2006年には自身のブランドWhite Mountaineeringをスタートし、ヤマト運輸の新制服やLARDINI BY YOSUKEAIZAWAをデザインするなど国内外で活躍している相澤陽介さん。現在はテキスタイルデザイン専攻の客員教授も務めています。そんな相澤陽介さんに校友会代表として2025年度入学式の祝辞をいただきました。その入学式の控室にて、校友会スタッフ(多摩美卒業生)がデザイナー人生におけるターニングポイントや仕事への向き合い方を伺いました。 相澤陽介(Aizawa yosuke) 1977年 埼玉県生まれ 2001年 多摩美術大学デザイン科染織デザイン専攻(現:テキスタイルデザイン専攻)卒業     株式会社コム・デ・ギャルソンに入社 2006年 自身のブランド White Mountaineeringをスタート 2012年 ロンドン五輪日本選手団のユニフォームをデザイン 2013年 MONCLER Wのデザイナーに就任 2014年 BURTON THIRTEENのデザイナーに就任 2016年 パリファッションウィークに参加 2018年 多摩美術大学生産デザイン学科テキスタイルデザイン専攻の客員教授に就任 2019年 サッカーJリーグ北海道コンサドーレ札幌の取締役兼ディレクターに就任 2020年 ヤマト運輸の新制服、LARDINI BY YOSUKEAIZAWAをデザイン 2023年 東北芸術工科大学芸術学部の客員教授に就任 https://youtu.be/NpRCVCsb-s8?si=Cd3HE9HV0o-VBkBX ───いろいろなジャンルで世界的にご活躍されていますが、ご自身で特に印象に残っているお仕事やターニングポイントになったお仕事はありますか? 相澤:ブランドを作ったというのは、一番のターニングポイントにはなっていると思います。その中で、十数年前ですけど、東京でずっとコレクションをやっていたんですね。 いわゆる「東京コレクション」と言われる組織には参加してなかったんですけど、勝手に東京でファッションショーをやっていたんです。それをいろいろ聞きつけてくれて、イタリアのフィレンツェで行われるPITTI IMMAGINE UOMO(ピッティ・イマージネ・ウォモ)というメンズの展示会というか大きい祭典にゲストデザイナーとして呼んでいただいたんですよ。 なので、全く海外の知識がないままフィレンツェでショーをやることになりまして。 ちょうどその声をかけていただいたタイミングで、ダウンジャケットで世界的に有名な大きいブランドのMONCLER(モンクレール)からもデザイナーとして招聘していただいて、英語もイタリア語も全く喋れないままイタリアに渡り、先程申し上げたように絵を描くことでコミュニケーションをとりながら「MONCLER W」を作ることができました。 それがやはり海外での足がかりとなったので、私としては非常に大きいことでしたね。 MONCLER W ───言葉が通じない中で仕事をされたんですね!もう言葉はいらないという感じでしょうか? 相澤:いや、絶対必要ですよ!(笑) 今、イタリア語をなんとか勉強しなきゃと思っているんです。コミュニケーションが取れるとしても、例えばファイナンスのことであったり、契約のことになると、やはり間違えてはいけないので、言語の部分が自分のウイークポイントですね。だから言葉がいらないということではないんです。 ただ一方で、技術とか絵というものが言語と並ぶっていうふうに考えてみてください。なので、ひとつの言語を美大生は既に持っているわけです。そう考えると、英語・イタリア語・中国語と同じように絵が一つの武器となりますよね。 ───仕事を進める中で、迷いやスランプ、しんどいと思うことはありますか? 相澤:これが“0”か“100”なんですけど、毎回辛くて、毎回しんどいんですよ。でも逆に毎回楽しくて、毎回新しい発見があるので、そこはずっと平行してクリエーションを行っていくというのが私の性なのかなと思っています。やはり一番しんどいなって思うのは、長く続けていることですね。私のブランドは設立して19年なんですけど、一つのことを長く続けているわけです。しかもそれが好き勝手できる世界ではなくて、スタッフを養わなければならないですし、常にビジネスのことを考えなければならない。ファッションの世界においては非常に早く流れるトレンドや流行というものがある中で、自分が好きなものをずっと作り続けていくことがそのビジネスの足かせになる場合があります。かといって、そのトレンドに乗ってしまうと自分ってものが何なのかわからなくなる。そのシーソーゲームみたいな中で、ずっとやり切っていくっていうことが非常に難しいんですね。 でも、もう仕方がないことなので、それをどう楽しむかというか…。あとはもう、もともとファッションを勉強してなかったというのも逆に強みで、いつ辞めてもいいやぐらいの気持ちを持ちつつ、意地でも続けるみたいな、そういうスタンスは持ってます。 ───しんどいなと思った時の息抜きの方法はありますか? 相澤:そうですね。日常的に考えると今でもバンドをやっていたりするので、僕はベースを弾くんですけど、仕事をやってる中で楽器を弾いて気分転換をしたりとか、音楽を聴いたりとかありますけど…。 コロナになるタイミングでですね、ヨーロッパの仕事が全部止まってしまったんですよ。パリのコレクションもできなくなって、今まで月に一回くらい何らかの形で海外の仕事があってミーティングなどで飛んでいたんですけど、それがゼロになりました。そのタイミングで自分の生き方を変えようと思って、軽井沢の方にアトリエを作ったんですね。僕自身がそのアウトドアウェアをベースにファッションに昇華させていくであったりとか、趣味がスノーボードとかサッカーの仕事をしていたりとか、アクティブなものが多いので、自分が作ったそういったものを試す場所が必要だなと。 なので今は自分が洋服を作ったら、そのまま軽井沢に持っていって、オートバイに乗ったりとか、その裏山に入ったりとか、自分がやってきたことっていうのを生活のスタイルの中に入れることによって、リフレッシュするっていうのはすごくあります。 ───確かにコロナ禍では、多くの人たちが新しい取り組み方を見出せたチャンスでもありました。他にも大きな転換期や挫折の時代があったのでしょうか。 相澤:挫折というか、コム・デ・ギャルソンに入って、私は約5年、厳密に言うと4年8ヶ月働きまして、正直燃え尽き症候群というような状態でした。その期間が自分の人生にとってものすごくインパクトがあったんです。素晴らしい会社ですし、今でも前に進んでますし、影響力もすごい強い会社です。ただ、自分が先程申し上げたように洋服を作ったことがなかったものですから、そのテキスタイルであったり、企画力であったりっていうので頑張ってはいたんですけど、27、8才の頃にやっぱり気持ちが押しつぶされる時っていうのがいっぱいありました。それで急に辞めてしまったんですよ。何の計画もなく辞めて、今でも自分の中では大事な時間だったんですけど、簡単に転職するっていう気に全くならなくて。やっぱりファッションの世界に入ったんですけど、コム・デ・ギャルソンで働いた自分っていうのとか、環境っていうのが特別だったんですよ。だからファッション業界に入った感覚がなくて。 そうした状態ではやっぱり同じ業界内で転職できないので、地元に帰ることにしました。地元は埼玉の所沢なんですけど、仕事をしてないなってことで地元の仲間に声をかけてもらったんです。 当時、その仲間がやっていた仕事というのが、何ていうのが正しい名称か分かんないんですけど、“はつりや”っていう工事現場でコンクリートを削る仕事なんです。彼らがその会社をやっていて、僕は辞めて数日後に「寅壱」みたいな、いわゆるニッカポッカを履いてドリルを背負って工事現場にいました。なのである意味で、それがファッション業界からの一回目の挫折かもしれないですね。 ─── 一回目ということは二回目もあるのでしょうか? 相澤:二回目はもう常日頃ですよ。もう、なんだろうな、一回も上手くいったとか、成功したって思ったことがなく、単純にいろんな人がちょっとずつ理解してくれただけであって、自分としては何かを成し遂げた感じというのは一つもないんです。 初めて挫折したのはギャルソンを辞めた時だったと思いますが、それからは何をやるんでも上手くはいかないので、挫折することを前提にして、その中で常に自分をどうどういうふうに鼓舞するかっていうのを考えて今までやってきました。 ───今のお話は輝かしい経歴とは対照的でとても意外です。真摯に生み出すことに取り組まれているのだと思いました。 相澤:僕が一番気をつけているのは、自分ができることとか、やらなきゃいけないことを押し付けないということなんですね。それはなぜかというと、“0”か“100”かで物事を考えてしまうと、“俺の世界観はこうだ”とか、“俺に仕事を頼むならこうだ”となってしまう。本当の目的っていうのが見えなくなってしまう。 例えば、今日の大学の祝辞でもすごく私なりに考えましたけど、今の学生は何を求めているのか。大学にいるこの4年間が終わった後、その時間の中で何を考えて、どういう結果が出るのか。どういうことを学んでいけばこういう風に繋がっていくのかっていうのを伝えたいと思ったんですね。 なので自分のことというよりも、学生がどういうことを求めるかっていうのを常に大学の授業でも思ってます。私はサッカーチームやユニクロ、あるいはデザインとは全く関係ないヤマト運輸であったりとか、いろんな企業と仕事をしています。 そうした時、やはりどこの部分がゴールなのかっていうのを見極めながらデザイナーの力を使うっていうのが僕の中での正解なので、そのことをいろんな人に伝えられるといいなと思います。デザイナーはそんなに偉くないし、クリエイターというのはそんなにすごいものを持っているわけじゃないんですよ。何か大きな勘違いをして、アーティストだったりとか、特に今はすごくインスタントに物事を作ることができますよね。製品でもそうだし、情報もそうです。特にこのSNSの時代になって、自分が何かを成し遂げるとか、何かできているとか、人より素晴らしいっていう勘違いといったものがモノ作りに最も邪魔だと思うんですよ。 なので常に自分は何かよりも劣っている、何か失敗するんじゃないかっていう恐怖心と、前に進んでいく推進力、この2つを併せ持つってことが、長く活動していく中ですごく重要に感じています。 北海道コンサドーレ札幌2025 ユニフォーム ───Instagramを拝見させていただいて、朝ごはんの写真がものすごく美味しそうでした。仕事以外で熱中していることや、継続してきたこと、相澤さんの人生における遊びや楽しみについて教えてください。 相澤:ありがとうございます。(笑) 趣味は多分めちゃくちゃ多いんですよね。ほとんど遊んでるんですけど。なんだろうな。挙げてみると、例えばバンドをやったり、オートバイに乗ったり、料理を作ったり、仕事の中でインテリアを作ったりとか。基本的に全部趣味の延長が仕事になってきたっていうのは、すごくありがたいことです。 好きなことが先にあって、それが仕事になってますね。よく仕事が趣味っていう人いるじゃないですか。僕は全然そういうことじゃなくて、趣味だったものが仕事になったので、必然的にそれが趣味みたいな流れっていうのが多いかなと思いますね。 あと、朝ごはんについてはですね、妻との互いの働き方を考えてやり始めたことなんです。私の妻は多摩美の同級生なんですよ。同じ染織デザイン専攻で、今は彼女も自分のブランドを始めたりとかしていて、また子供も3人いる中で、共に子育ても含めてやっていくって考えた時に、自分ができることってなると朝の仕事だなと思って。 料理が趣味になったこともあり、それを毎日やってる感じですね。 vol.3の公開は7月31日(木)を予定しています。楽しみにお待ちいただけると嬉しいです! vol.1~ はこちら vol.3~ はこちら

【特集記事】第2回 卒業生インタビュー 相澤陽介さんvol.1

2025年7月17日

2001年多摩美術大学デザイン科染織デザイン専攻を卒業後、株式会社コムデギャルソンに入社、2006年には自身のブランドWhite Mountaineeringをスタートし、ヤマト運輸の新制服やLARDINI BY YOSUKEAIZAWAをデザインするなど国内外で活躍している相澤陽介さん。現在はテキスタイルデザイン専攻の客員教授も務めています。そんな相澤陽介さんに校友会代表として2025年度入学式の祝辞をいただきました。その入学式の控室にて、校友会スタッフ(多摩美卒業生)が在学時から現在の活躍に至るまでのお話を伺いました。 相澤陽介(Aizawa yosuke) 1977年 埼玉県生まれ 2001年 多摩美術大学デザイン科染織デザイン専攻(現:テキスタイルデザイン専攻)卒業   同年 株式会社コム・デ・ギャルソンに入社 2006年 自身のブランド White Mountaineeringをスタート 2012年 ロンドン五輪日本選手団のユニフォームをデザイン 2013年 MONCLER Wのデザイナーに就任 2014年 BURTON THIRTEENのデザイナーに就任 2016年 パリファッションウィークに参加 2018年 多摩美術大学生産デザイン学科テキスタイルデザイン専攻の客員教授に就任 2019年 サッカーJリーグ北海道コンサドーレ札幌の取締役兼ディレクターに就任 2020年 ヤマト運輸の新制服、LARDINI BY YOSUKEAIZAWAをデザイン 2023年 東北芸術工科大学芸術学部の客員教授に就任 https://youtu.be/NpRCVCsb-s8?si=cdJIVQaZ5nlMbTjM ─── 多摩美術大学デザイン科染織デザイン専攻を進学先に選んだ理由は何でしょうか。進路につながった幼少期から高校時代の思い出がありましたら教えてください。 相澤:一つのきっかけとしては、父の影響があります。どちらかというとほぼ独学ではあるんですが、私の父親は広告ポスターなどのデザイン関係の仕事をしていました。また父は洋服などもすごく好きで、そうした父の傍で子供の頃からデザインというものを身近に感じられる環境で育ちました。 また、高校生の頃はバンドをやったりスポーツをやったりしていたんですが、父親から教えてもらったアンディー・ウォーホルの作品というのが非常に興味深く目にとまりました。実際これはアートなのかデザインなのか?ポップアートっていう名前だし、何だかわからなかったんですけど、非常に魅力的に感じ、デザイン企業で働いていた父とは真逆のシルクスクリーンであったり手作業であったりというところに憧れていきました。 ちょうど一番いいなって思ったのが美大の染織デザイン専攻か版画専攻だったんですね。なので自分としてはデザインというものも残しつつ、手作業で何かを生み出すというところに憧れて、染織デザイン専攻に進みました。 ─── 在籍されていた当時の染織デザイン専攻は相澤さんにとってどのようなところでしたか。 相澤:染織デザイン専攻はデザインという名前がついていたんですけど、工芸学科に非常に近かったものですから、正直申し上げますと、初めは間違えたかなと思いました。というのは、当時の校舎自体も古く、現在のテキスタイル棟ができる前の校舎で、技術的なものを学ぶとしても、古典的なものしか学ぶことができなかったんです。 今のテキスタイルデザイン専攻というのは最新鋭の機械であったり、現代的な教育の考え方がありますけど、どうしても染織という言葉は工芸に近く、機織りだったりとか染め物というところだったので、初めはすごく難しいなと自分では思いました。 けれども当然ですが学校なので自分たちで考え、そしてカリキュラムに沿って技術を得ていく。そうすると技術が自己表現のための武器になるということがすごく理解でき、のめり込んでいくように染織デザインというものにはまっていったのを覚えています。 ─── 入学時は現代美術のような表現を目指していたが、入ってみたら技術を学ぶところだったということですよね。先程、入学式の祝辞でも「技術が力になる」といったお話をされていましたが、それは相澤さんの在籍していた当時の経験に基づくことなんですね。 相澤:そうですね。私は今もファッションデザイナーとして長く活動していますが、感性であったりとか感覚、もしくは才能ってものは、全て受け手次第になってしまうと思うんですね。例えば、私が全く興味のないジャンルの素晴らしいものを見た時に、どう感動していいかわからないと思うんですよ。 その代わり、すごく興味のあるものに関しては、ちょっとしたことでも感動すると思うんですね。そういうふうに美術とか芸術、デザインというものを、私としては感覚値で説明するのは非常に難しいと思っています。特に多摩美では客員教授としても長年勤めてますが、そのことを学生の皆さんに理解してもらうためにも、やはり武器としての技術を身につける大切さを伝えています。 そして、その武器を使うことで自分の次のステージが見えてくると思うんですね。やはり自分のできることとか、共通言語になるものというのは、絵を描くことであったり、私たちであれば洋服を作ることと繋がってきます。その絵を描くっていうことの何が重要かと言いますと、私は数年前、イタリアのLARDINI(ラルディーニ)というブランドで仕事をする機会がありました。場所はイタリアのマルケ州アンコーナというところで、これまでイタリアの仕事は過去にいっぱいやってきたんですけど、アドリア海側のいわゆる片田舎で仕事をしたのは初めてでした。そうするとほとんどのスタッフはイタリア語しか喋れないんです。私は今まで英語でコミュニケーションをとっていたんですが、イタリア語しか話せないモデルリスト、日本だとパタンナーって言うんですけど、イタリアだとそうした方々とものづくりをしなきゃいけない。もう言葉が通じないわけです。そうすると洋服の仕様だったり縫い方の一つ一つを、僕はその場で絵を描いて説明するんですね。要は絵を描くということが共通言語になり、言葉を超えるんですよ。そういう意味で、やっぱり技術はすごい重要なんですね。 なので技術を習得するっていうのは職業訓練みたいな雰囲気があるかもしれませんが、技術は感覚や才能を絶対に超えると思って、僕は今教鞭をとっています。 LARDINI BY YOSUKE AIZAWA カプセルコレクション ─── 私も版画を制作しているのですが、感覚とか感性で制作を進めても最終的には作品として成立させるための着地点を見つけています。その地面というか、基準になるところが技術という感じでしょうか。 相澤:例え話をしますと、私が以前教えていた多摩美とは別の大学でロリータファッションがすごく好きな学生がいたんです。ファッションというカテゴリーの中ではありますけど、正直いって私には1ミリもわからない。どういうものが良くて、どういうものが正しいのか全然わからないんですよ。 そういうことは世の中に多々あると思うのですが、その彼女の好きという感情がすごい溢れていて、さらに、洋服を縫う力、絵を描く力、それを染めて表現する力がものすごく強かったんです。なので、作品を作ってみたら面白くてしょうがなかったんですよ。 全く興味のない“ロリータ”という世界観だったんですけど、その子が作った技術というか、プロダクトとしての完成度を通して、その逆を僕は感じたんですよね。このプロダクトであれば、この人が考えていることをもっと知りたいという風になると。そうした誰もがわかる技術というものを学ぶべきだと、私は思っています。 ─── 現在の活動から大学時代を振り返って感じることはありますか? 相澤:そうですね。私は今ファッションデザイナーで、大学を卒業する時にCOMME des GARÇONS(コム・デ・ギャルソン)という会社に入って、いきなりファッションの世界でトップクラスの企業に入ったんですが、当時の私は洋服を作ったことがないかったわけですよ。 染織デザイン専攻というものはファッションを学ぶコースではないので、たまたま絵の力を使ってコム・デ・ギャルソンに入ることができました。さらに入社して1、2年目の早い段階でいきなりパリに行って、パリ・ファッションウィーク(通称:パリコレ)にスタッフとして参加できて…。 そうした経験から、既存のルールに縛られない視点を持つことができたと思っています。例えば洋服の会社にいたら洋服を作り縫わなきゃいけない、また洋服に関する知識を持っていなければいけない。だけど、そうしたことを疑っていくというか、自分ができることは何なのかというのを、ネガティブな状態からどうやってポジティブに変換していくかっていうのは、洋服を学ばなかったことによって洋服を学ぶ強さにつながっているというふうに思っています。 コム・デ・ギャルソン時代 ─── 学生時代に影響を受けた先生やアーティストを教えてください。 相澤:一番はですね、今、私が客員教授をやらせていただいている東北芸術工科大学で学長を務めている中山ダイスケさんです。 私がアンディー・ウォーホルであったりとか、ファクトリー(スーパー・ファクトリー)っていうものに憧れていた高校生卒業ぐらいの時に、作家活動をしていた彼と出会ったんですね。シンプルに言いますけど、彼が作る作品はものすごくかっこよかった。バンドだったりとかHIPHOPだったりとか、月並みな高校生が好きになるものにどっぷりはまっている中で、現代美術のアーティストがこんなに格好いいものだっていうのを初めて知ったのが中山ダイスケさんという方でした。 実際にアトリエのアシスタントを大学生の時にやらせていただいたりして、一番影響を受けました。ただ、それだけすごいインパクトがあったので、逆に自分がこれを突き詰めることはできないなって思った部分もありました。今でも交流があるということもありがたいと思っています。 vol.2~ はこちら vol.3~ はこちら

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