出品者NI LI(2022年 大学院博士修了)、もりさこりさ(在学生)、ほか
日程2023年5月13日(土)~2023年5月28日(日)
休館日月、火曜日
時間13:00~19:00
場所長亭GALLERY
東京都中央区日本橋久松町4-12コスギビル4F
WEB長亭GALLERY
協力WAITINGROOM

人物は、人間にとってもっとも関心のあるモチーフであり、永遠のテーマであるといってよい。他人を知る、あるいは自分自身を知るために人物を描く。確かに、人の外側だけ見ても、内面を理解することはできないが、その現れから推測することはできる。

西洋において肖像画は、古代ギリシャ・ローマ時代から描かれているが、当初は理想主義的で象徴的なものであった。しかし、紀元前4世紀末以降、ヘレニズム時代には、現代の肖像写真のように、それぞれの個性的を表現する写実主義的な画風に変貌する。4世紀末にキリスト教が国教になって以降、個人の肖像画は廃れ、キリスト教美術が発展することになる。

ふたたび、肖像画が着目されるのは14世紀になってからのことである。王侯や聖職者が古代の伝統に即して、側面像で描かれるようになる。15世紀になると、特にヤン・ファン・エイクを代表とする初期ネーデルラント派で、少し斜めを向いた四分の三正面象が確立されていく。我々がイメージする肖像画は、そこに由来する。その高度な写実性は、カメラの発明につながる、凸面鏡などを使用していることを、デイヴィッド・ホックニーは指摘している。

当初は画像を自動で定着することはできず、手で描かれていたが、19世紀にカメラが発明され、肖像画や人物画の主役は、絵画から写真に手渡されたのだ。それ以降、絵画は写実性を捨て異なる表現を歩んでいく。日本やアフリカといった異文化の影響に加え、列車や車、船、飛行機による高速移動も知覚や表現に変化を与えていく。さらに写真印刷や映画、テレビの発明によって、メディアが現実を包み込み、写真や映像そのものを描くようなスーパーリアリズムやゲルハルト・リヒターのような試みも出てくる。

今日のデジタル環境において肖像画や人物画の主役はSNSにある。多くの人々が「自撮り」をし、セルフポートレートを毎日のように投稿している。しかし、それはフィルム時代の写真のように、無加工であることはほとんどない。スマートフォンやアプリによって、何らかの加工やエフェクトが施されており、見栄えがよくなっている。「真実」に近い「嘘」が、山のように積み上がり、「真実」は覆い隠されているといってよい。あるいは、AI(人工知能)が生成した「真実」のような「嘘」もある。その見分けはつかない。

今回、出品している画家は、それぞれの方法でふたたび人物に脚光を当てている。佐藤絵莉香は、移動の途中で見た光景に人の面影を重ね合わせて描き、豊田涼華は、 SNS上の画像や動画を含めた「日常」のなかで偶然目撃した状況を絵画にする。倪力は、ネットに散在する画像と、自身の身体や絵筆の質感を合わせて同一平面上に定着させる。あるいは、古川諒子のように、言葉から連想した像を定着するものもいる。そこには、現実の像との対応はない。もりさこりさは、粗いタッチで異なる世界の住人を描くが、それは虚構に満ちた現実の鏡像でもあるだろう。

画家たち描く像は、画家の目や脳、知性、感情、経験、身体、技法が積み重なったものであるが、それ自体が時代を映す鏡でもある。デジタル・ネットワークにより複雑に絡み合った人間の関係性を定着するのは、もはやデジタルでは困難かもしれない。今の時代に、人物を描くということは、その複雑で嘘に覆われた世界から、それぞれが自身の真実や現実の手触りに到達するための試みでもあるだろう。