美大生時代のような、「楽しい」の感覚を追求する今。
三浦海岸にシェアスペースを拓いた、建築士・新城宏明の胸の内。
<前編>
コロナ禍に神奈川県三浦海岸に移住し、シェアスペース「BAYSIDE SHARE MIURAKAIGAN」を開業した一級建築士・新城宏明。三浦海岸を拠点に、「エリアリノベーション」に走り出した新城が、建築業界を目指したきっかけや美大で得たもの、これからのものづくりについて聞かせてくれた。
新城 宏明(Hiroaki Arashiro)
一級建築士、建築デザイナー。ボリビア生まれ、横浜育ち。多摩美術大学造形表現学部デザイン学科スペースコミュニケーションコース卒業。建築の専門学校を卒業し、造作大工として活動した後、3年次編入で多摩美に入学。空間デザインを専攻し、デザインに対する美意識を高める。現在は神奈川県三浦海岸でシェアスペース「BAYSIDE SHARE MIURAKAIGAN」を主宰。自然豊かな環境を拠点とし、クリエイティブの力で街の活性化を企む。
美大はコミュニケーション。
ボリビア生まれ横浜育ち、建築家を志す
私はボリビアの日本人村・コロニア沖縄で生まれ、小学校の時に横浜に引っ越してきました。ボリビアには祖父の代で戦後移民として渡ったと聞いています。私の父と母はそこで出会ったそうです。今も父はボリビアにいて、牧場を経営しています。
幼少期を過ごしたのはボリビアの中でもだいぶ田舎。とても自然豊かな場所だったので、私は木登りをしているような少年でした。そのあとに引っ越した街はボリビアの中でも都心の方で、ヨーロッパのような街並み。スペイン領だったこともあり、西洋風の建物が並んでいたことを覚えています。私は田舎と都会の両方の暮らしをボリビアの中で経験しましたね。
ボリビアの家の庭にて
両親が帰国を決め、私は6歳の時に日本に来ました。最初は日本語が話せませんでしたが、今ではスペイン語がすっかり話せません(笑)。小中高と横浜の学校で学び、高校を卒業した後は家業を手伝いながら「これから自分が何をしたいか」を考えることに。悩んでいると、建築を勧めてくれたのは先に建築を学んでいた兄でした。
『建築家たちの20代』
建築に興味を持った私は、まずは建築物を見るために京都へ行きました。その旅の最中に読んでいたのが『建築家たちの20代』という本。建築家を志したきっかけは、この本の影響も大きいです。
建築における「美意識」の向上を求めて
建築家になるためにまずは建築の専門学校を卒業し、造作大工として働きました。自分の手でものを作ることの楽しさを知ったのはこのときだったと思います。
建築に携わっていると、次第に「美意識をもっと高めたい」と思うようになり3年次編入で多摩美術大学造形表現学部デザイン学科スペースコミュニケーションコースに編入しました。
多摩美では専門学校とは違う、少しアートよりなことを学びました。建築のマニアックな部分を勉強した後に、多摩美では「もう少し自由な発想で、自分の理想を追求する」というようなデザインを学んだと思います。
新城学生時代
多摩美デザイン学科の同級生には卒業後、ウィンドウ・デザインや空間デザイナー、空間のブランディングに携わっている仲間がいます。自分の場合は建築の専門学校を卒業していましたので、3年の実務経験を加えれば資格を受験できるという状態になっていました。
多摩美では建築やインテリアを勉強しつつ、周りの別のデザインのことにも触れられたのがとても良かったと思っています。また、美大で掴んだもっとも大きなことは、周りの人から影響を受けることだと思っています。
専門領域を突き詰めながら、さまざまなデザインに触れられる良い環境。私自身、空間デザインからコミュニケーションデザインまで幅広く学びました。そのおかげで「BAYSIDE SHARE MIURAKAIGAN」を作ることができたと思っています。
自分の分野以外も意識して、可能な限り他分野にも触れる。その中で、他分野の仲間が増えていく感じもすごく楽しかった。結果として、自分の視野が大きく広がったと思っています。美大には自由に好きなことを追求する学生や、さまざまな活動を経験されてきた先生がいます。周囲に「オモシロい人」がたくさんいるのはオモシロいですよね。
vol.1 〜「建築士として空間のポテンシャルを見出し、より高める 多摩美OB主宰の「BAYSIDE SHARE MIURAKAIGAN」を訪問!」〜
vol.2~「美大生時代のような、「楽しい」の感覚を追求する今。三浦海岸にシェアスペースを拓いた、建築士・新城宏明の胸の内。<前編>」~
vol.3~「美大生時代のような、「楽しい」の感覚を追求する今。三浦海岸にシェアスペースを拓いた、建築士・新城宏明の胸の内。<後編>」~