畑山太志 個展 「未来の数」出品者畑山太志(2017年 大学院修了)グループ展 「Light Echo」出品者菅原彩美(2017年 大学院修了)塙康平(2017年 大学院修了)畑山太志(2017年 大学院修了)ほか日程2023年8月4日(金)~2023年8月27日(日)休廊日月曜日 ※祝日オープン時間12:00〜19:00場所コートヤード HIROO ガロウ東京都港区西麻布4-21-2協力EUKARYOTE問合せgarou@cy-hiroo.jp(コートヤード HIROO ガロウ)WEBTHE LIBRARY 2023
畑山太志 個展 「未来の数」グループ展 「Light Echo」 上田智之、菅原彩美、畑山太志、塙康平 キュレーション: 畑山太志 コートヤード HIROO ガロウにて畑山太志 個展「未来の数」 と、畑山太志キュレーションによるグループ展 「Light Echo」 を開催致します。 今回はガロウ1F で畑山の新作を、2F で畑山キュレーションによる、「Rejoice! 豊かな喜びの証明」「Rejoice! 豊かな喜びの証明 II: Kairos」に続く上田智之、菅原彩美、畑山太志、塙康平による三度目の展覧会 「Light Echo」を二本立てでご高覧いただけます。 印象派とも、シュルレアリスムとも、エクスプレッショニズムとも言えない、畑山が表現し続ける「素知覚」とは一体何なのか。彼らが引用している数学者 岡潔は「人は本来、物質的自然の中に住んでいるのではなくて、魚が水の中に住んでいるように、心の中に住んでいます。」と伝えています。(新潮社「数学する人生」より引用) 人間が人間らしく生きていない「物質が元で心が末」の戦後の西洋基盤の社会において、人間の心の本質に迫るのは到底不可能に思えます。岡潔が言った人の心を構成する二つの要素、「懐かしさ」や「喜び」はどこにあるのだろうか。 そのかけらが畑山のいう「素知覚」に、そして「Light Echo」に散りばめられている、そんなことを感じさせてくれる展示となっています。 私たちは、本当は、可視化されることはなくとも、物質や時間に縛られない心の感覚を知っているのではないでしょうか。会期中ぜひ体験してください。― コートヤード HIROO畑山太志個展「未来の数」この先に起こる物事の可能性はいくつもの入口を開けて待っている。あるひとつの入口はなにかの始まりかもしれないし、もしかしたらなにかの途中に入りこむことかもしれない。あるいは先に向かうことだと思っていたとしても、それが過去につながっていくこともまたありえることだ。今この瞬間にも私たちを取り囲んでいる時空は、ある形を保ちながらも歪んでいて、別のところから別のところへと自在に行き来することが可能なものだ。仮に私たちが線的な時間のうえで生きているのだとして、未来という言葉はただ単純にこの先を指し示す指標ではない。パラレルな線に移動すること、過去に進むこと、リニアな形を無効にすること。どれも未来である。2023.7.13 畑山太志グループ展 「Light Echo」上田智之、菅原彩美、畑山太志、塙康平 キュレーション: 畑山太志 展示室に差しこむ光が人の心に触れるとき、私たちはなにを感じて、なにを思い出すことができるのだろうか。この星に生きているということを彼方からの震えから知ることもあれば、目の前の小さな喜びから知ることもまたあり得ることだろう。たったひとつの作品と向き合うことは、そこに広大な心の地平を認めて、過去・現在・未来という時間を抜けてノンリニアな世界に溶けこんでいくと同時に、ある音の響きに耳を澄ませていく。それは新しい道が示される心の反響音と言えるかもしれない。 本展「Light Echo」は「Rejoice! 豊かな喜びの証明」(アキバタマビ 21、2020、東京)、「Rejoice! 豊かな喜びの証明II: Kairos」(セゾンアートショップ、2021-2022、神奈川)に続く 3 回目の展覧会である。数学者の岡潔は、花を見て美しいと感じる心の地下水脈に「情緒」という名を与えている。可視化されるものでなければ、その存在はないものとされてしまうものに対して先人たちはさまざまな仕事をしてきた。レイチェル・カーソンによる「センス・オブ・ワンダー」もまた不可視の水源のひとつだろう。私たちの心深くに胎動するものを、過去ふたつの展覧会では、大江健三郎の小説『燃えあがる緑の木』でこだまする「Rejoice!」という掛け声で震えを起こさせようとしてきた。そしてその響きは失われることなく、本展覧会へと反響を伝える。 上田智之は、実際に経験した光景をもとに丹念な写生を繰り返し、透明水彩による繊細な薄い絵具の重なりによって、鮮明な輝きを透明な層にとどめる。その濁ることのない層において一瞬と永遠のイメージを定着させる方法は、残響のように記憶のなかにある私たちがかつて見た光景に響いていく。 菅原彩美の油彩画は、音の響きそのものが画面上で波紋を起こし、前後の時間感覚を歪ませるような高波動の視覚的音楽が結晶している。強い求心力をもつその絵画と対峙することは、可聴域の外側の世界に身を浸すことにほかならない。 畑山太志は、絵画作品によって不可視の次元を顕在化することを試みている。私たちが生きる時空は均一で揺るがないものでは決してなく、無数の存在たちと複数の時間・空間が多方向に共存する次元であることを捉え直していく。 塙康平による光沢ある黒い紙にペンを用いたドローイングは、作家自身の具体的な経験から想起された海景や花畑などが描かれる。それらは粒子状の光のハレーションを起こしながら、子どものころの内なる感覚や、内省的な感情の響きを深く繊細に伝えてくる。 今ここには存在しないとされるものをこの場に召喚して、不可視の存在を確かめるためにエコーは鳴り響く。私たちはその響き合いのさなかで、心の在りかを見つめることになる。2023.6.26 畑山太志