MOURNING

米山 貴久 教授 追悼メッセージ

2023年3月31日

米山 貴久 教授 本学卒業生(1988年PD卒)・本学統合デザイン学科教授・校友会理事 令和4年4月8日ご逝去。享年58歳。 ※メッセージは寄稿順に掲載させていただきました “生徒を陰ながら支えてくださった米山先生、 大変お世話になりました。 ” 統合デザイン学科3期生 M.K “在学時は大変お世話になりました。 米山先生には、一度授業のことで困ったことがあって、相談させていただいた後に改善してくださったことがありました。あまり関わりがなかったので相談するか迷ったのですが、その時は相談して良かったと安心したのを覚えています。授業の作品発表時もピリピリしがちで苦手だったのですが、米山先生と他先生同士で意見をぶつけあった様子を見せて盛り上がっていたのも印象的でした。 統合デザイン学科が出来たばかりで先生方も生徒も手探りなところがあったと思いますが、そんな自分も今は卒業し社会人 5年目に入ろうとしていて、あの 4年間で心身ともに鍛えられたなぁと感じます。直接的な関わりは少なかったですが、4年間、米山先生が携わってくださったあの学科で学べて良かったです。米山先生のご冥福をお祈りいたします。” “高校から大学 4年間、たくさん学ばせてい ただきました。米山先生の素敵なお家や二子玉川での BBQ、本当に楽しかったです。思い返すと、笑顔の米山先生ばかりです。教えていただいたデザイン、楽しい思い出は一生の宝物!心からご冥福をお祈りいたします。” A.I “米山先生 デザインのこと、社会のこと、何も分からなかった私に親身になって教えてくださいました。 授業外での困ったことでも、何でも相談にのっていただきました。「もっとふざけていい。真面目じゃなくていい。」あの頃の私に深く刺さった先生のお言葉は、今も大変な場面でよく思い出します。 先生と皆んなと、 一緒にセミナーハウスに行く約束、果たせず大変残念です。 また一緒に飲みたかったです。 どうぞお安らかにお眠りください。” 石沢奈々 “今年も統合デザインの卒展見に行きました。素晴らしい作品のキャプションに米山プロジェクトの表記を見つけ、自分の居たプロジェクトの後輩だ!と少し誇らしげに思えるのは今年が最後なんだろうなと思うと途端にさみしくなってしまいました。努力を見逃さず評価してくれる、統合でイチバン生徒思いなピヨのプロジェクトに入れてよかったと思っています。 心よりご冥福をお祈りいたします。” 統合4期米山プロのひとり “担当のクラス以外の学生にも優しく、よく作品を見て下さる先生で、卒業制作の講評会で最善は尽くしたものの自信がなかった私は先生に自分の作品の良い所を話して頂けてとても救われました。私の他にも先生の言葉で作品を作り続けられた人はたくさんいると思います。お早いお別れになりとても寂しいですが、本当にお疲れ様でした。ゆっくりお休みになって下さい。 ” A “休学して学外の勉強をしたいことを相談した時「人生の中で、他人から見たら破綻していると思われるような事を自ら進んで作る事は、勇気は居るけどとても大切だよ」と背中を押してくださった事が今も支えになっています。本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。 ” “先生は覚えていらっしゃらないかもしれませんが、 2017年の夏、静岡の大学説明会で米山先生が担当してくださいました。 どの美大に行くか悩んでいた時、統合デザインについて詳しく教えてくださり、そこで入学を決意しました。また、先生が教授に就任される以前に働いていらっしゃった会社の後輩(オノダさん )と私の母の友人が共通の方だったそうで、その話題から「大学に入ったらよろしく」と、名刺を頂きました。 今でも大切にとってあります。わたしに、多摩美へ行く選択をさせてくださり、また、入学してからもたくさんの学びをありがとうございました。” “この度は心よりお悔やみ申し上げます。 私が統合デザイン学科の学生だった時分、米山先生がご担当の授業を選択していなかったにも関わらず、名前を覚えてくださっていたことが非常に心に残っております。 Eプロジェクトの和気藹々としつつも互いを高め合うような雰囲気が、外から見ていてもとても好きでした。米山先生のお人柄によるものだと感じております。 米山先生、大変お世話になりました。ご冥福をお祈りいたします。 ” “お世話になりました。 ご冥福をお祈りします。 ” “3年という短い間でしたが、お世話になりました。 米山先生がどれだけ生徒想いで、愛をもって接してくださって本当に感謝しています。 まさかこんな形で会えなくなってしまうと思っていなかったので、会えないのが寂しいです。毎年恒例の流しそうめんやスイカ割り、先生と生徒で作り上げたオープンキャンパス、一つ一つが本当に楽しくて一生の思い出です。今は会えなく寂しいですが、天国でまた会いましょう。米山先生のことはずっと忘れません。” “大学に入学した最初の日から卒業する日まで、米山先生のさまざまなお力添えを頂きました。 授業の方針だけでなく、生徒同士の交流の場となるような学内イベントも企画されたり、教室に時々いらっしゃっては生徒とコミュニケーションを取る姿勢に、デザインというものへの、学問的側面だけではない取り組み方を学びました。 何かを進める時、結局自分さえ上手くいけば良いのだと思ってしまうことも往々にしてありますが、他者を他者とせずひとつの輪として捉えていた米山先生のまなざしを思い出し、後輩や友人のために取り組んでみようと襟を正されることも何度もありました。その大きな優しさで自分の学生生活は包まれていたと思います。本当にありがとうございました。” “イベントや飲みの場にご一緒させていただいたり、進級や休学の相談に親身になっていただいたこと大変感謝しております。 米山先生無しでは今の私は居りません。 ご生前のご厚情に深く感謝いた します。在りし日のお姿を偲び心からご冥福をお祈り申し上げます。” 光田 “1年生の頃、作品に参考作品の付箋を貼ってくれたこと、車椅子で卒業式に来てくれたこと、一緒に記念写真を撮ってくれたこと、その時も付箋貼ってくれた私の作品覚えてくれてたことを思い出します。生意気な学生であった私のことも気にかけて下さっていました。嬉しかったです。本当にありがとうございました。 ” “4年間本当にお世話になりました。プロダクトが一番好きだったので、特に 1,2年次はよく相談に乗っていただきました。制作やそれ以外の悩みなど、なぜか 米山先生には正直に話せました。すべての学生を想っている素晴らしい先生です。本当にありがとうございました。 ” 大西風 “米山先生の授業は数回しか受けたことがありませんでしたが、他クラスの私を気にかけてくださり、髪切ったの ?(全然切ってなくても)とか服とかにコメントをくださいました。 おちゃめでカッコ良くて渋いイケボで大好きでした。卒業式近くには一緒にBBQに行きました。河原でみんなでお酒を飲んで肉を食べて、映るんですで米山先生を撮りました。 当たり前にまた会えると思っていたので、そこからは卒展で少し話す程度 になってしまっていたこと、今となれば後悔です。 出会えたことに感謝し、次、米山先生にお会いした時に褒めてもらえるよう、頑張って生きて行きます。ありがとうございました。 ” ST “米山先生には一年生の時からお世話になりまして課題や学校の話など様々な場面で関わらせていただきました。私は入学当初から悩んでいることがあったのですが卒業式の時にお話しした時の言葉は自分の中で救われたものがありました。辛いことばかりの今ですが米山先生のように明るく進んでいきたいと思います。米山先生、さようなら、どうか安らかにお眠りください。 ” 武井隼人 “ラグビー部OB会で、何度かお会いする機会がありました。熱心に大学の未来像を語られていたことを思い出します。ご生前のご功績を偲び、謹んで哀悼の意を表します。 ” ラグビー部OBKY “統合デザイン学科のために、尽力していただき、本当にありがとうございました。 今思えば、私がよく分からないまま他学科に編入しようとした時に、米山先生がこの学科は良いものになる、良いものにする、と自信と責任を持って私に話してくださったので、こうして大学院まで進学して、卒業出来たのだと思います。統合デザイン学科で大変多くのことを学び、デザイナーとして生きる術を授かりました。本当に感謝しています。ありがとうございました。 ” H・M “ラグビー部の後輩であり芸祭とらやの仲間であった米山教授。統合デザイン学科での活躍をまだまだ見せてもらいたかったです。心よりご冥福をお祈りいたします。 ” 吉川誠一 “Aクラスで学ばせていただいた事、世話をかけていただいた事、今でもはっきり覚えております。 こんなに早くお別れしてしまうとは思わず、卒業後ももっとお話したかったです。私の恩師であり、父の様であり、友人の様に親しく接していただいたり、思い出す度胸が温かくなります。心から、ご冥福をお祈り申し上げます。 ” 板垣里奈 “米山先生の励ましのおかげで、自信を失わずに頑張ってこれたこと、感謝しています。心よりご冥福をお祈りします 。” “米山先生逝去の報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。先生の穏やかで誰にでも明るく気さくに話しかけてくださる姿に、学年全体が助けられていました。講評会で落ち込んでいたとき、フォローだけではなく改善点もしっかり伝えてくださったこと、今でも思い出されます。先生のお陰でデザインの大変さも面白さも知る事が出来ました。先生の今までの温かいご指導に改めて御礼を申し上げます。このたびの突然の訃報は、今でも信じられません。心から哀悼の意を表します。” 松本柚紀 “どんな時も生徒よりもパワフルな米山先生からいつも元気をもらっていました。ありがとうございました。 ” 統合デザイン学科6期生 “米山先生、謹んでご逝去を悼み、生前の温かいご指導に対し、あらためてお礼申し上げます。米山先生にご指導いただいたのは、主に学部の三、四年の時になります。また、プロジェクトだけでなく、一、二年の頃もプロダクトの授業でご指導いただきました。 米山先生の授業はいつも明るく楽しさでいっぱいでした。当時自分の作品に自信がなかった僕ですが、米山先生の熱心なご指導のおかげで自信を持つことができ、良い作品を作ることができました。先生は僕の制作に対する思いは前向きで、いつも「いいね」と褒めてくれました。三年次の課題制作の時 、アイディアに悩んでいた自分に対して、「君は造形を作るのが得意だから、そっちをメインに考えてみたら?」と人の良いところや得意分野をピックアップしてくれました。そして毎度最適なお言葉をかけていただきました。米山先生のご指導はとても分かりやすく明快で、私たちをなすべき方向へと導いてくれました。そのおかげで、Eプロジェクトの就職率は抜群で、みんな良い企業へと進むことがきました。 僕の場合は、大学院に進学することが目標で、米山先生のおかげで無事に合格することができました。今の自分があるのも米山先生のおかげです。また 、米山先生は「ポジティブシンキング」というモットーでいつも物事を前向きに考えており、落ち込んでいたり、悩んでいた私たちを励ましてくれました。二年生の時、課題の打ち上げがあり、この日自分は風邪気味だったので、帰ろうとしていた際に「風邪なんてお酒を飲めば温まるから治るよ」と声をかけて無理やり連れて行かれた事を今でも覚えています。この時、米山先生のポジティブシンキングにはとても圧倒されました。今思えばとてもいい思い出です。米山先生はいろんな人に愛され、人と一緒にいるのが好きで、いつも周りを明るく盛り上げてくださ いました。僕らが何か面白い事をしたり、ちょっとドジを踏んだ時には大声で笑ってくれました。先生は我々がデザイナーとして生きていくに当たって人として憧れの方です。 今、僕は多くの先生方のおかげで、充実した研究生活を送っています。この恵まれた環境を一生懸命精進して参ります。それから、卒業式の時に米山先生がおっしゃった「何かで悩むことがあれば空を見上げてごらん。そうすれば自分の悩みなんて小さなものと気づけます。」この言葉を思い出して、今後辛いことがあったら乗り越えていきます。これからも、米山先生が築いてきた意志 と、ポジティブシンキングをしっかりと受け継いで、この先を生きていきます。今までどうもありがとうございました。 ” 小池康晴 “米山先生の訃報に接し、驚きと悲しみを禁じ得ませんでした。数年前、息子が大学を中途退学して新たな道に進むべきか否か迷っていた時、夫婦でお伺いして米山先生にご相談させていただきました。先生の温かなお人柄と笑顔、そして私達家族の背中を押していただいたことは、生涯忘れることができません。このご恩に深く感謝申し上げ、心よりご冥福をお祈り申し上げます。 ” 三輪博・恭子 “私はどうしようもない学生でございました。大学に入ってからというもの、周りの盛んな成果報告や制作活動を尻目に課題もせず遊び惚け、気づけば留年一歩手前。教授からもほとほと呆れられておりましたが、米山先生はそんな私をみかけるといつも気さくに声をかけてくださりました。 課題はきついか、悩みはないか、好きなことはなんだ、と、叱るでもなく諭すでもなく、私自身を見て対話をしてくださったことを強く憶えております。 米山先生は学校にとっても、学生にとっても、なくてはならない存在でした。先生から受け取った優しさはいつまでも私の心の中に息づいております。 ” “米山先生、クラスの担当ではありませんでしたが中学校や高校の先生のように気さくに話してくださる先生でした。在りし日のお姿を偲びつつ、ご冥福をお祈りいたします。 ” “講評の時にかけていただいた言葉がきっかけで自分の好きなことに気付き、それがずっと自分の生活に寄り添ってくれています。 気さくに話しかけてくださり、たくさんのお言葉をいただき、ありがとうございました。 ” “米山先生には間違いなく私の人生の道を変えた人です。 まだ一年生だったころ、私は退学することを考えていました。その理由をすぐに理解・指摘して、とどまるように説得してくれました。おかげで2022年に卒業させていただきました。 道に光を照らしてくれてありがとうございました。 ” 塩田碧 “米山先生へ、このたびのご逝去を悼み、 謹んでお悔やみ申しあげますとともに、 心よりご冥福をお祈り申し上げます。1年の時からAクラスでプロダクトを教えて頂いていたのもありますが、米山先生はさらに生徒との交流が深くて、私たちと食事に行ってお話やご相談に乗ってくださることも一番多かったと思います。特に4年の夏、 Aクラスの子達とバーベキューに行って、先生が自前の道具を用意されてたりパエリア作って頂いたことと、ストーリー研究会で紙芝居のイベントのお話を持ってきてくださってそれに参加できたことなど、今でも大好きな思い出です。先生の突然の訃報に驚きましたが、今でも学校に先生がいらっしゃるような気がしていまだに実感が湧かないです。それぐらい 私たち生徒に親身になってくださり、統合デザイン学科を大事にされていた方だと心から思います。ただできることならもう一度お会いしてお仕事のお話やクリエイティブの話をしたかった、それが心残りです。先生から教わったことは自信に繋がっていて、今ではお仕事や作品作りでとても生かされております。ご一緒に過ごした4年間、改めて大変お世話になりました。米山先生、本当にありがとうございました。” EK “米ちゃん 僕らが大学2年の芸祭から去年まで、数えきれないくらい飲んだり、笑ったり。 最高に楽しい時間でした。いまだに信じられない。 米ちゃんの笑顔、いつまでも忘れない。素晴らしい思い出を本当にありがとう。” 山本文彦 “米山さんが校友会にご尽力なさっている姿はよく覚えております。立派な、素敵な方なくなられたのは悲しく、残念です。どうぞ安らかに。 ” “私が多摩美を自主退学することを決断した時、親身に相談に乗ってくださり新しい道へ進もうとする私の背中を押してくださったのが米山先生でした。何年かの個人活動に区切りをつけ多摩美に再入学した私も来月には卒業が控えており、この日を晴れやかな気持ちで迎えられることは、先生が後押ししてくださ ったあの日の選択があったからこそだと思っています。この感謝の気持ちを、会って直接伝えたかったと悔やむばかりです。心からご冥福をお祈りいたします。 ” 三輪皓平 “米山先生、私たちは同じ立体科のプロダクトデザインで学び、ラグビー部の後輩でもあり、体育系教師という共通点がたくさんありました。次世代を創る先生を求め、大企業に勤めて いたあなたを大学の先生にスカウトしたことは今でも大正解だったと確信しています。あなたは常に学生の中心にいました。現在の統合デザインの基盤を作ってくれたのは間違いなくあなたです。あなたの活躍をもっと見たか っ たです。どうぞ大学の躍進をも見守りください。 ” 和田達也 “米山先生とは本学 88年卒の同窓生でした。米山先生(当時は「米ちゃん」)はラグビー部、私はテニス部で、いつも放課後はグランドとテニスコートの周辺で共に過ごしていたことを記憶しています。卒業後、何十年かを経て多摩美に教員として戻った中で、八王子と上野毛と キャンパスは違いましたが、同窓生がいることは大変心強いことでした。 校友会の様々な活動にも積極的に参加してくださいました。闘病中でありながらもオリジナルプロダクツ委員会の会議にご参加くださりご尽力くださいました。製品を見ることなくご逝去されてしまったのが残念でなりませんが、ボールペンは米山家のテキスタイルデザイン卒のお嬢様がデザインしてくださいました。たくさんの思い出を本当にありがとうございます。 ” 深津裕子  多摩美術大学美術学部リベラルアーツセンター教授 多摩美術大学校友会事務局長 “米山貴久先輩へ 貴久先輩と私の交際は、先輩が 32歳、私が 22歳の時からだったと思います。出会いは八王子キャンパスの芸祭でした。ラグビー部で、同じ姓で、しかも同じ 2浪入学だったので、他人の気がしないと初対面から優しくしてくれました。寛容で頼り甲斐があり、私はすぐに好きになりました。出会ったその日に、芸祭がどうしてこんなに熱くなれるものなのか、その楽しさについて夜を徹して語ってくれました。私の芸祭といえば、貴久先輩の熱いトークで、いまだにそれを超えるものはないかもしれません。 その後も貴久先輩と はキャンパス内で会う機会に恵まれました。東芝とグラフィックデザイン学科の産学共同プロジェクトでは貴久先輩は東芝の代表で、私は多摩美の広報担当でした。プロジェクトは芸祭のように熱くなり、取り組みはグッドデザイン賞を受賞しました。 また、ある時は大学時代のプロダクトデザイン同期の無実を証明すると、上野毛キャンパスの映像スタジオで再現映像を制作している現場でお会いしました。あいつがそんなことをするわけがないんだよ、徹夜で課題を一緒にやっていた仲間だよ、わかるんだよ、と何回も言っていました。その後、裁判で見事冤罪を晴らし、それはのちに「それでもボクはやってない」という映画になりました。 そして 2013年、なんと東芝を退社し、多摩美に教員として戻ってくることになりました。多摩美が上野毛キャンパスに新学科を開設することになり、貴久先輩がそ の重要な役を担うことになったのです。新学科開設準備室ができ、当時企画課だった私も準備室の常駐メンバーとなりました。出会いから約 20年、うれしいことに好きな人と一緒に働くことになったのです。貴久先輩の人柄はすぐに学内関係者の心をつかみファンを作っていきました。威張らず、人をたて、仲間を大切にする。困難なことに出会ってもあきらめず楽しくチャレンジする。ますます大 好きになりました。米山兄弟と名乗ってよく人に会い、よく飲み会もしました。そのたびに芸祭のあの日がよみがえり、とても幸せな気分になりました。 2014年 統合デザイン学科に最初の新入生を迎えることができました。実務は東芝で慣れていると言っていましたが、学校経験のない貴久先輩がグラフィックデザイン学科につぐ収容定員 480名の大規模学科を見事に誕生させました。開設後は、授業だけでなく学科運営の裏方的実務も担い、統合デザイン学科のプレゼンスを向上させるためにも様々な立場の人たちに心を配り続けていました。貴久先輩がいなければ今の統合デザイン学科はなかったかもしれません。現在、統合デザイン学科の志願者数は、私立美大デザイン系学科でトップ 3に入るまでに成長しました。私は 統合デザイン学科の歩みは貴久先輩の歩みそのものだと思っています。 貴久先輩、まずはゆっくり天国で休んでください。そして体調が戻って元気になったら、こっちに降りてきてください。また一緒に飲みたいです。 ” 多摩美術大学職員 米山建壱

高橋 士郎 名誉教授 追悼メッセージ

2023年3月31日

高橋 士郎 名誉教授 本学卒業生(1970年院デ卒)・元校友会理事・元本学学長・本学名誉教授 令和3年7月18日ご逝去。享年77歳。 ※メッセージは寄稿順に掲載させていただきました “「なにか面白いことない?」と、いつでも興味をひく何かを探されていました。今でもきっと何かを探す旅を続けている気がします。そして陰に日向にご助力を頂きました。ご冥福をお祈りし感謝を伝えたいです。ありがとうございました 。 ” 村穗秀兒 “士郎先生には学生時代から大変お世話になりました。大学で一緒に働くことになってからもワダ〜っと怒鳴られた日々でしたが、先生の大学に対する愛には敵いませんでした。いつも予測不能な行動と破天荒な発想には驚かされましたが、生涯、先生を超える恩師はおりません。あと少しで先生と創ってきた大学も90周年を迎えます。これからも見守ってください! !” 和田達也 “士郎さんは、距離によって見え方が大きく変わる人だった。それは解像度の違いというよりも、何かもっと質的な違いなのだ。士郎さんの残すことばの多くは、ロゼッタストーン並みに断 片的でエソテリックなものだったが、思えば本当にシャイな方であった。同時に、いつも何かしらを模索し続けている、好奇心と探究心に溢れた方でもあった。多摩美術大学というのは面白いところで、 10人の人がいれば、 10人の人が多摩美に違った夢を抱き、違った希望をかける。中でも、とりわけ「別の」夢と希望を抱いていたのが、士郎さんだった。その白眉が「多摩美術 大学国際芸術村構想」だろう。人生の外部を知ることは不可能だが、 多摩美の教員に声をかけていただかなければ、僕の人生は大きく変わっていたはずだ。どうもありがとうございました。 ” 久保田晃弘 “史郞先生が学長やっていた頃、中国上海で開催された展覧会に一緒に参加したことがありました。 空港のゲートで待ちあわせしたら、やってきた史郞さんは手ぶらで、持ち物はコーラのペットボトル1本だけでした。 到着した上海空港でも受け取る荷物は、ミカン箱の大きさにも満たない作品一個だけ。 5泊ぐらいの行程だったけど、着替えなどの旅行用品はいっさいなし。 若い頃から海外を放浪していたという史郞さんらし いスタイルです。 翌日会場入りすると小さな箱から5mサイズの巨大なバボットが飛び出しました。手足が動くピンク色の赤ちゃんバボットです。史郞さんの搬入作業はこれで終了。どっかに消えていきました。 上海にいた4日間でよく覚えているのは史郞さんのネクタイです。 この時期は学長をやってたので中国の美大などいろいろなところに招待されました。 手ぶらの旅だけどその度ごとにポケットから取り出したネクタイを結ぶんです。それだけでなんか様になる。 思い出が沢山あります。すべてにおいてありがとうございました。” 佐々木成明

秋山 孝 教授 追悼メッセージ

2023年3月31日

秋山 孝 教授 本学卒業生(1979年GD卒)本学グラフィックデザイン学科教授・イラストレーター 令和4年1月18日ご逝去。享年69歳。 ※メッセージは寄稿順に掲載させていただきました “「どこの大学も全部ぼくの学舎だから」展覧会や講演会などで世界中の大学を一緒に訪ねた度に聞いた言葉です。日本国内だけでなく海外でも自宅の庭のように歩き回るほどに大学を大切にし、学問を愛する先生でした。 当然のことながら、中でも母校への想いは深かったことを思い出します。それは、イラストレーターやグラフィックデザイナーとして第一線で活躍されただけでなく、常勤・非常勤を合わせて 30年以上の長い間に多摩美で教鞭をとられながら積み重ねてきた業績の数々が示しています。その研究や教育にかける想いは継承されるべきだと思います。ご冥福をお祈り申し上げるとともに、謹んで哀悼の意を表します。 ” 高橋庸平 “秋山先生、先生のイラストはさまざまな場所で見かけ、多くの人たちを幸せにしています。オリジナリティに溢れる独特なタッチの温かいイラストは世界のイラスト界に多大な貢献をされたと思います。会うといつも、「元気?」と微笑んでくれた優しい笑顔は今でも忘れることができません。どうぞ、天国でも素敵なイラストを描いてください。 ” 和田達也

三宅 一生 氏 追悼メッセージ

2023年3月31日

三宅 一生 氏 本学卒業生(1963年図案卒)・ファッションデザイナー 令和4年8月5日ご逝去。享年84歳。 ※メッセージは寄稿順に掲載させていただきました “三宅一生さんありがとう 三宅一生さんは私より6期下の1963年多摩美術大学、図案科の卒業生です。未だデザイン科の名称が使われていない時代の学生さんです。図案科の授業とは云え、単に平面デザインだけでなく、建築、インテリア、グラフィック、プロダクト等を含むグローバルなデザイン教育が行われていましたので、一生さんもそれらの基盤を広く学ばれたと思います。 ファッション系の学校とは異なった教育基礎を受けられたと思います。その後、ファッションの分野に進まれたので、一般のファッションデザイナーとは異なった教育と視野を持たれたと思います。 一生さんは一般的にファッションデザイナーと呼称されることを嫌い、「自分は衣服デザイナーだ」と云っておられたのが印象に残っています。単に流行の衣服を追い求めるのでなく、時代の中で人間の衣の本質を追求しておられたのだと思います。立体裁断を基本とする西欧の伝統の中に打ち出した着物の持つ平面構成による衣服「一枚の布から」の発想は新鮮なコン セプトで西欧の人達を魅了したと思います。その後、折り紙の発想や他の視覚から衣服のみならず、バックや照明器具に至るまで諸々のデザインをされておられます。 「21−21」 のギャラリーにおける 活動もその展望 のひとつだと思います 。 多摩美TD科の卒業生も多く三宅デザインで働いていますが、三宅デザインの重鎮であられる皆川魔鬼子さんが、ひと時多摩美 TD科の教授として教育に携わってくださったことも得難い時間だったと思っています。 私はニューヨークの近代美術館の中で、現代の諸々のデザイン作品と共に、一生さんの服が展示されているのを見た時、胸が熱くなるのを覚えました。他のデザインと同じレベルで評価されていたのです。 一生さんが追い求めた夢と仕事をたどりながら、続いて下さる後輩の若い皆さんに未来への夢を託したいと思います。” わたなべひろこ 多摩美術大学名誉教授 “三宅一生さんとは直接の接点はありませんでしたが、服飾研究者として多くのことを学ばせていただきました。 1990年代末のことですが、私がニューヨーク大学の大学院生で、メトロポリタン美術館のインターンをしていた時、 Issey Miyake N Yオフィスから衣裳アシスタン トの依頼があり、アーヴィング・ペンさんによる写真集の撮影のお手伝いをしたことがありました。またニューヨーク大学大学院での修了論文は日本のファッションとカウンターカルチャーがテーマだったため、三宅一生さんの衣服作りと 1960年代以降のファッション史 について考察を深めました。私が現在、多摩美で担当するリベラルアーツ科目「服飾文化論」では、毎年、多くの学生が最も印象に残ったデザイナーとして三宅一生さんを挙げます。その背景には、三宅一生さんが多摩美の先輩であるだけではなく、衣服作りをデザイン領域に位置付け、文化や時代を超えて共感できる「一枚の布」をコンセプトにした衣服づくりの姿勢を若い世代に示してきてくださったからだと思います。ありがとうございます。 ” 深津裕子  多摩美術大学美術学部リベラルアーツセンター教授 多摩美術大学校友会事務局長