【特集記事】第1回 卒業生インタビュー わたなべひろこ先生vol.3
戦後のファイバーアート界を牽引! 多摩美テキスタイルデザインの源流を創った わたなべひろこ名誉教授にインタビュー 1957年多摩美術大学図案科(平面)卒業後、フランス留学を経て多摩美術大学に着任したわたなべひろこ先生。現在はNPO国際テキスタイルネットワークジャパンの代表として、後進の育成にも力を入れています。第一回目となる今回の「卒業生インタビュー」では、同学科卒で親交の深い深津裕子教授(校友会事務局長・リベラルアーツセンター教授)がわたなべ先生のお話を伺いました。 わたなべ ひろこ(Watanabe Hiroko) 1957年多摩美術大学卒業 新制度1期生 1959年多摩美術大学着任 1957〜59年フランス留学 1964〜65年フィンランド留学 2007年シルクロードプロジェクト実施 国際トリエンナーレ、ビエンナーレ等の審査員 国際展のキューレタ等、文化交流を務める https://www.youtube.com/watch?v=H7K_oUF0YoM デザイナー/アーティストとしての取り組み 深津:先生にはテキスタイルデザイナーとしての活躍と、ファイバーアーティストとしての活動の二つの軸があるかと思いますが、それについてお話を伺えますか? わたなべ:先ほどの着任の話に少し戻るんだけど、着任時は自分が学校の先生っていう意識よりもね、自分の出た学校でもあるし、先輩として一生懸命やるっていう感じの方が強かったと思うのね。学校はむしろお手伝いっていうか、臨時の気持ちだったからお金貰おうと思ってなかったの。ですから、「生活するためには自立しなきゃいけない、自立してこそ学校のお役に立てる」っていうふうに思ってたから。だからデザイン事務所を作って、自分で仕事を探して、少しずつ少しずつ自分の仕事で食べていけるようにしていったわけです。自分の作品というよりは、相手の要求に合わせたものを作って差し上げるっていう仕事ですよね。おかげで私も海外でいろんな評価を少しずついただきました。 それで意外や意外に、「ファイバーアート」っていう新しい分野が生まれ、そういったことに参加しながら食べるための仕事と並行して少しずつでやってきました。なかなかスムーズに両立することが難しくて、本当に胸が痛いこともありますが、おかげさまでいろんなところで評価をいただいています。イタリアやフランス、ポーランドなどの国際展の審査委員などもやらせていただいたりもしています。 今日もパリオリンピック2024に関連する展覧会に向けて作品を発送するところなんです。出品作品の全てが80cm×80cmのサイズで色は赤一色で統一されているそうなんです。 なかなか自分の思う作品が作れないのが悩みですね。でも自分の作品を作ることよりも、やっぱりもっと世の中に役に立つことをした方がいいんじゃないかなと思ってね。 深津:赤と言えばね、先生の一番シンボリックな作品のシリーズですよね。 わたなべ:自分の思っていることの何分の1もなかなか実際にはできないなと思うんですけどね。でもベストを尽くしてやるしかない。たいしたことはできないけれども、悔いなく、二度とない命ですから。それなりに「悔いなく生きたい」と思ってるんですけど、なかなかね、悔いなくというところまで‥。 多摩美退職後の活動 シルクロード横断プロジェクトとギャラリースペース21 深津:先生は退職後に壮大なプロジェクトをされましたね。 わたなべ:はい、シルクロードを横断するプロジェクトですね‥。在職中は何ヶ月も休めないからできなかったですし、部分的には調査をしていましたけど砂漠を通ることが禁止されていた時期もあり、通れるようになってから退職後の75歳の時に念願だったプロジェクトを実施しました。シルクロードの終着地である日本の東大寺から出発して、大陸に渡り草原ルートを辿ってローマまで横断しました。各地で地元の方たちと対話をしながらワークショップや展覧会を行いましたし、東洋と西洋の境に位置するイスタンブールの国立マルマラ大学と組んでシンポジウムをやったんです。その時にシルクロードの子供たちと日本の子供たちの絵を交換してきて、日本の北から南10ヶ所で展覧会もやりました。 日本のファイバーアート展を立ち上げニューヨークでの発表後、サンフランシスコ、フィンランド、スペイン、ポルトガル、オランダ等、各地で行いました。 それから他にも日本のファイバーアーティストを育てるための展覧会「テキスタイル・ミニアチュール展『一本の糸からときを超えて』」を1986年に私の持ちギャラリーで開催しました。21世紀に至るまで、10回行いました。当時はこんなファイバーアートの展覧会をやってくれるギャラリーがなかったんです。絵じゃないから馬鹿にされてね。だから新しいテキスタイルアーティストを育てるための発表空間が欲しいと思って、新橋にあった私の事務所のところにギャラリーを作り行ったんです。そこは21世紀までやるっていうことで「ギャラリースペース21」という名前で開いたんです。ただ、私はギャラリストではないので21世紀に入ってギャラリーを閉じ、同時に私も展示に関わる任を終えました。その後、「テキスタイル・ミニアチュール」は「百花」シリーズとして後輩方々が継承してくださり、現在でも国内や海外で展覧会が開催されています。 多摩美生への言葉 深津:最後に在校生の皆さんに向けた言葉をいただけますか? わたなべ:私はこれまで50カ国ぐらいの世界をたくさん回ってるけど、日本のようにこんなに四季の美しい国は他にない。そしてこんなに素晴らしい感性を持った民族ってそんなにいないと思う。だから、皆さんにはそれをもっと知って欲しいし、自分の文化を大切にして欲しい。陶芸なんか見ても世界一だと思う。 私たちは確かに白磁や青磁を中国や韓国から習ったかもしれないけど、日本はどんな飲食店に行っても食べ物によって全部器が違います。窯も沢山あって、どこへ行っても素晴らしい焼き物がある。 同じように染織を見ても、皆どれも素晴らしい。こんな素晴らしい国なのに、何でもっとそこに住んでいる人が良さを自覚しないのか。大切にしないのか‥。 中国をはじめ、アジアの多くの国はエネルギッシュに世界に向かって発信をしています。日本も自分たちの良さをもっと知って欲しいし、体感してもらいたいし、そして自信を持ってインターナショナルに出してほしいですね。皆さんには、日本の良さをエネルギッシュにメッセージし発信してほしいと思います。 インターナショナルになるということは、なんでもかんでも一緒になって混ざるってことじゃなくて、やっぱり日本という個性を持ちながら協調性や共通性を持つっていうこと。そうしなかったらみんな一緒になってつまらないと思うのね。 考えてみると、私は多摩美に生かされ育てられたんじゃないかと思うのね。だから、今、多摩美に少しでもお返しができたらなと思ってやってるんだけど。それと同時に、多摩美を通して日本というものを世界にメッセージしていきたい。だから皆さんには、その核を作っていただきたいのね。そのお役に立つようであればと思って、今も多摩美に関わらせていただいているところなんです。 vol.1~「Textile Art Studio 1975年 設立」「男性優位な社会を跳ね退けて志した美術への道」はこちら vol.2~「テキスタイルとの出会いから渡欧へ」「染織デザイン専攻の設立と目指した教育」はこちら