【特集記事】第3回 卒業生の職場訪問 阿部智史さん×吉田圭さん(電通デジタル)vol.1
「世の中をちょっと良くする」を模索する、 ふたりが考えるクリエイティビティ。 多摩美OBが活躍する「電通デジタル」を訪問! 総合デジタルファーム・電通デジタルに在籍し、コンサルティングや新規サービス提案に奔走する多摩美OB阿部智史さん(右)と吉田圭さん(左)。「社会をよりよくしたい」と口を揃えるふたりの対談を全4回で配信。在学時のエピソードから卒業後の進路、そして現在の仕事まで、それぞれの視点から美大生が獲得でき得るキャリアの広がりについて聞かせてくれた。 阿部智史(Satoshi Abe) 多摩美術大学美術学部情報デザイン学科情報アートコースを卒業し、レコードショップに勤めたのち、デジタルの世界へ。電通デジタル入社後は、顧客基点によるマーケティングDXの推進業務に従事し、マーケティング戦略策定、組織変革支援などのコンサルティングから、システム導入、アプリ開発といった基盤・施策領域の実行まで、デジタルを活用したビジネス変革を幅広く支援。カスタマーサクセスをテーマに、LTV(Life Time Value:顧客生涯価値)を最大化するためのソリューション開発に尽力する。 吉田圭(Kei Yoshida) 多摩美術大学美術学部2部デザイン学科ビジュアルコミュニケーションデザインコース卒業。在学中よりプロダクションでWEBサイトのデザイン・設計・開発業務に従事。2014年より電通イーマーケティングワン(現電通デジタル)に合流し、サイト構築、プロモーション設計、コミュニケーション設計、顧客体験設計など、幅広い業界でプロジェクトの戦略立案、設計などに携わる。事業開発プロジェクトを得意とし、現在は家電ブランドの2030顧客接点の未来を構想するプロジェクトを推進中。 https://youtu.be/L__GCSLXYvg?si=uMim-5zTn2WMfeom 紆余曲折。 吉田:阿部さん、よろしくお願いします。この企画、美大卒で“美大卒”っぽくないお仕事をしている人に、話を聞かせていただいているというシリーズになります。 阿部:はい、なるほど。確かに、僕らの仕事は“美大卒”っぽくないと思われるかもしれませんね。 吉田:ということで、まずは僕から改めて自己紹介をしますね。多摩美術大学美術学部二部デザイン学科ビジュアルコミュニケーションデザインコース、通称「ビジュアル」卒業。いわゆるグラフィックというよりも、情報デザインの要素を含んだデザインを学ぶコースを卒業しました。 阿部:僕は多摩美術大学美術学部 情報デザイン学科情報アートコース卒になります。確か、僕が入学する数年前に創設された新設の科でした。油絵やグラフィックのように、どういう技術を使い、どう表現していくのか、などを突き詰めるというより、既存のファインアートに収まらないないところをやっていた気がします。僕の先輩は、なぜかはわからないけれど、畑を耕していました(笑)。「何を学ぶのかを考える」というような実験的な場所だったと思います。 吉田:僕が在籍したコースで特に有名な教授は「非常口」のサインをデザインした方。上野毛キャンパスのアイコンみたいな方でした。 阿部:へえ。 阿部智史さん 吉田:非常口のサインって昔は緑の細長に真ん中に人のマークがあって、左右に矢印などが配置されていたと思うんですけど、その教授は当初から現在のカタチ(矢印のみ)にするのが理想だとゴールを掲げていたんですって。 阿部:美観を損なわないように、ということを考えていらっしゃった。 吉田:緑の矢印の先に非常口。それを国際基準にということを最初から考えていたらしいです。 阿部:いま、ふと渋谷駅を思いました。新しい建物ばかりで綺麗なんですけれど、恐らく駅の職員さんが作ったであろう「こっち」っていう矢印があちこちに貼ってあるんです。仕方なくやられていると思うのですが、体験がいきなり断絶してしまうような感覚が僕にはずっとありました。おそらく「非常口」のサインのように、環境として機能として考えてデザインされているものだとそれが起こらないですね。 吉田:高速道路にあるカーブの植栽デザインなどもされていたそうです。方向性がわかるような花とか植物の植え方をして、カーブと認識させる。 吉田圭さん 吉田:僕らが学生のころに憧れるデザインって、ポスターなどの派手なモノでしたけれど、その先生は意識させないけれど必然的に機能する情報を含んだデザインをされていらっしゃいました。今になると、スゲーってことがよりよく分かります。 阿部:こんなことを言ってはアレですが、僕、学生時代って実はあまり勉強していなくて…。 吉田:僕も同じく。学生の頃はとくに「グラフィックデザイナー」になりたい願望が強くて。学校に行かずにプロダクションでグラフィックデザイナーのアシスタントデザインをしていました。もう、会社員のように朝9時から夕方5時まで。 阿部:ちゃんと勉強しておけば良かったって思いますよね。 吉田:ほんと勉強した方がいい。勿体無い。 OB訪問に参加された多摩美術大学在学生のお二人 阿部:僕は音楽に夢中になっていました。1、2年生の頃はまだ真面目に学校にも通っていたのですが、3年生くらいの時に「アートとかしゃらくせえ!これじゃ何も変わらないだろ!」みたいなモードになって(笑)。 吉田:就活、しましたか? 阿部:あまりせず、です。通っていた渋谷のレコード屋さんで卒業後そのまま働き始めました。完全にその日暮らし。楽しければいいや、くらいの感じでしたね。吉田さんは? 吉田:僕もそのままって思っていたんですけれど、師匠がそうさせてくれなくて。それに、その頃から薄々グラフィックデザインの道は自分には難しいとも感じちゃっていたんです。 阿部:それはなぜです? 吉田:師匠、その頃30代前半だったと思うんですけれど、めちゃめちゃ感度が高くて。毎日のように本屋に行くし、ネット黎明期にもかかわらずコンテンツにも詳しくて。そこまでの方でも、その人は名だたるグラフィックデザイナーだったわけでもない。「ここまでやってもか」って思っちゃったんです。それで、テレビが好きだったり企画することが好きだったりしてテレビ局を受けました。でも、落ちました。なので、しばらくはフリーランスのような感じでした。 阿部:僕が働いていたレコード屋は商社のような側面もありましたので、カッコよくいうと輸入業でもありました。とはいえ僕は配送や店番も何でもやりました。 吉田:小売業を経て、互いに今はデジタルの世界。色々ありますね。 阿部:僕らの学生の頃ってインターネット黎明期。確か、IE5とかでしたよね。それでも当時から僕はインターネットにめちゃくちゃ魅力を感じていました。今までできなかったことができるようになったり、知らなかったことを知れるようになったり。もともとデジタルとかネットとかは大好きでした。 吉田:けれど、音楽の魅力がその魅力に優っていた。 阿部:というより、手に職もないし、音楽が近くにある生活を楽しく送ることができればいい、くらいに考えていたんです。今につながる部分でいうと、レコード屋で最後に任されていたのは、通販サイトでした。WEBの企画を考えたり、アクセス解析したりというのは、そこで初めて触れました。数字から読み取れる何かをバイヤーの人にアドバイスするっていうのは面白かったですね。 吉田:EC担当のようなことをされていたんですね。 阿部:で、転機が唐突に訪れるんですけれど、当時だんだんと音楽がレコードからデジタルに移行していくタイミングで。それでレコードが売れなくなり、勤めていたレコード屋が倒産。いつも通り会社に行ったら営業部長が立っていて「すまん、今日で解散です!」みたいな。その光景は今でも覚えています。 吉田:ははは、なかなかインパクトがありますね。 vol.2 〜「デジタルの世界へ。」はこちら